その花の名でよばないで(短編小説)

「男のキャラクター、出しちゃダメですかね?」
「それは、やめたほうがいいかもしれませんね。読者が不安に思うかもしれないので」
 電話口の編集者は、当たり前のようにいう。
 なんだ、不安に思うって。男の子は、化け物や妖怪じゃないんだから。
 もう、この出版社から、何冊も本を出している。私は、女の子同士の恋愛を描く作家として、この出版社に声をかけられた。
 私が女の子同士の恋愛を描くのには、理由があった。それは、私が文章を書く起点となった出来事で、とどのつまり、私はその理由にまつわる物語しか書けないのだった。
 私が時代をうまく見定めているわけじゃない。面白いもの、流行るものは、賢くて運のいい誰かが生み出してくれる。だから、私は私が書きたいものを書いていたいと思う。 
 女の子同士の恋愛を書いているだけで、たまにものすごくありがたがられる。けれど、私はあなたたちのために書いたんじゃない、と思う。
 私は、男でも女でもない。だから、女の子を崇拝するのも嫌だし、男の子を邪険に扱うのも嫌だ。
 だって、どちらも同じいきものだし、自分に性別の決定権があるわけでもないし。 
 それなのに、なんで、この世界は「性別」を重要視するのだろう。この仕事をしていて、たくさんの言葉や思想に揉まれて、もううんざりしていた。
 私が黙りこくっていたからだろう。編集者は「また、新しいアイデアが浮かんだら、連絡ください」と言って、電話を切った。だから、今のが新しいアイデアなんだって、と思う。
 けいとーにこの話をしたら、どんな言葉が帰ってくるだろう。けいとーは、「ばかばかしい」って、笑う気がする。それで私の首が切られたとしても、萌の考えは正しいよって言ってくれると思う。
 私は、いつになったら、この檻から出られるのだろう。あの、白い花でできた檻。
 私は、けいとーのことを書きたいよ。けいとーが幸せになる話ばっかり書いていたいよ。けいとーが魔法使いになったり、けいとーがお姫様になったり、けいとーが探偵になったり。
 ねぇ、この檻は、なんでこんなに息苦しいんだろうね。
 私は明日も、原稿用紙を埋めなければいけないよ。好きでもない思想のために。愛しきれない読者のために。
 私が好きなのは、けいとーだけ。それだけなんだよ。
 小湊鶏頭。それが、彼女の名前。鶏頭は、花びらがフリルみたいな花で、花言葉は「おしゃれ」「風変わり」。けいとーが、自分で自分につけた名前みたい。それくらい、けいとーには、その名前がぴったりだった。
 けいとーはけいとーだった。けいとーと出会ったとき、けいとーは社会人でも学生でもなかった。けいとーは私の住むアパートの隣に男の人と住んでいて、ある日「めんつゆ貸してください」と言って、私の部屋に訪れた。そのまま、私の部屋で暮らすことになった。めんつゆとうまくかけるなら、けいとーが私の部屋で暮らすまでの色々が、まるで流しそうめんみたいで。つるつるっと物事がそういう方向に進んでいった。
 だから、誰にも止められなかったし、けいとーの自由さは、けいとーの一番の長所だ。
 ただ、ゴミ出しの日に、隣の部屋に住んでいる男の人とばったり出会ってしまったときは、さすがに気まずかった。ういうの、寝取ったっていうんだろうか。私とけいとーは寝てない。いや、昼寝くらいなら一緒にするけど。どうか恨まないでくださいって思いで私がへらへらしていると、けいとーの元同居人は、さらに苛ついた顔をするのだった。
 けいとーがなんで家出をしたかというと(といっても、隣の部屋に移動しただけ)その、元同居人のいびきがうるさかったからだそうだ。そんな、なんとも単純な理由で、けいとーは今までもころころと拠点を変えてきたらしい。
 けいとーは、ふわふわとしたピンク色の髪の毛をした女の子だった。月に一度、美容院で髪を染めていた。けいとーは、ピンク色が好きだった。特に、パステル系の。あとは、けいとーはうさぎが好きで、寝るときにいつもうさぎのぬいぐるみを抱いていた。そのぬいぐるみは、もともと白かったそうだけれど、けいとーが毎日一緒に寝ていたら、いつのまにか灰色になっていたらしい。そのうさぎに名前はついていなかったが、けいとーは、そのぬいぐるみをとても大切にしていた。
 けいとーが家に来たとき、けいとーは大きなリボンのついたリュックサックを背負っていて、服はフリルのワンピース、ピンク色のふわふわの髪はツインテールにしてあった。そして、うさぎのぬいぐるみを抱いていた。その姿が、なんだか、遊園地に遊びに来た小学生みたいで、可愛かったから、私はけいとーを部屋に入れた。
 けいとーは、紅茶が好きだった。色々な味の紅茶を集めて、なにかいいことがあったら、お祝いだと言って、美味しい紅茶を淹れてくれた。いいこと、といっても、雨の予報だったのに晴れたとか、道端で五百円玉拾ったとか、その程度のことだ。私は、けいとーはがどこから来たのかも、けいとーが何歳なのかも知らなかった。けれど、けいとーが私の作った料理を食べて、「美味しい! 美味しい!」と大げさなくらい感動しているのを見ると、まぁ、どうでもいいか、となるのだった。
 けいとーは、たまにハート型の小さなポシェットを肩にかけて、お散歩に行った。それ以外は、家で漫画を読んだり、絵を描いたりしていた。けいとーの絵は、可愛かった。けいとーは、リボンつきのうさぎばっかり書いた。うさぎと遊んでいるのは、けいとーみたいな女の子だった。私はバイトから帰ってきたときに、けいとーにその日描いた絵を見せてもらうのが楽しみで、その日の仕事がきつくても、頑張れた。
 ある日、けいとーとお風呂に入っているときに「天使がおりてきたみたい」と言ったら、けいとーが、「私、天使さんだったの?」と言って、とっても幸せそうに笑った。
 私たちの生活は、そんな感じだった。私は、昔から文章を書くのが好きで、けいとーと絵本を作って遊ぶことが多かった。けいとーは、恋人というより、ペットみたいな感じだった。(ばかにしてるわけじゃない。けいとーがうさぎによく似ているってことだ)。
 ある日。けいとーがぽつりと言ったことがある。
「萌は私のこと好き?」
「だーいすき」
 私が答えると、けいとーが少し不安そうな顔をした。
「萌の好きって、空っぽ。萌って、変。女の子なのに、男の人みたい」
 私は、けいとーのことを抱きしめながら言った。けいとーは、いつも砂糖みたいな甘い香りがする。
「そう。私の身体のなかには、男の子の心と、女の子の心が入っているのだー」
「すごい! 萌! それってほんとなの?」
 けいとーは目をきらきらと輝かせた。私はけいとーのぷにぷにのほっぺをつねりながら答えた。
「ほんとのほんと。だから、私は週刊少年ジャンプも、ミニスカートも大好き」
「わー! 私、萌大好き!」
 けいとーは私に抱きついた。けいとーは、たぶん、頭もそんなに良くなくて、でもきっと、誰よりも純粋で。
 私は、「男でも女でもない」。そのことについて、今まで散々悩んだけれど、少し救われた気持ちになったのだった。
 ある、雨の日のこと、けいとーは、気分が沈んでいるようだった。けいとーは、月経前症候群で、生理前になると、ずっと横になっていたり、口数が少なくなったりすることがあった。
 けいとーは、私のベッドで眠っていた。灰色のうさぎのぬいぐるみを抱いていた。
「あのね、萌」
「どうしたの、けいとー」
「私、昔、お父さんに働かされてたの」
 けいとーの声は、いつもみたいにとろとろとした甘い声じゃなかった。雪みたいに冷たくて、聞いたことのないくらい、落ち着いた声だった。
「どういうこと?」
「男の人達のために、働くの、気持ち悪かった。でも、私、男の人に守ってもらわないと生きていけないの。可愛いね、可愛いねって、男の人に言ってもらうのが、私の仕事だと思うの。だから、頑張らなくちゃいけないの」
 そういえば、けいとーが隣の家に住んでいたときは、いつもばっちりメイクだった気がする。けいとーは、うちに来て、あまりメイクをしなくなった。ずっと家にいる日なんて、いつもすっぴんだ。
 私は、今まで、けいとーが自分のために女の子をしているのだと思っていた。
 けれど、けいとーは、もしかしたら必死な思いでフリルのワンピースを着ていたのかもしれない。けいとーみたいに可愛くない私には、けいとーの気持ちは理解してあげることはできなかったけれど、私は私が中学生の頃のダサいジャージを着て、ごろごろしてるけいとーも好きだった。
「うちでは頑張らなくていいよ」
 私が言うと、けいとーは少し、泣いていた。
 それから、ある日のこと、けいとーのお母さんが病死したことをけいとーに聞かされた。前日に、病院で息絶えたらしい。けいとーはでも、不老不死の人なんていないから、と言って、笑っていた。
 そしてその日の夜、けいとーは漂白剤を飲んで死んだ。
 けいとーは、眠っているみたいに死んでいた。けいとーそっくりの人形が、床に横たわっているみたいで、けいとーが死んでいるとはすぐには気がつかなかった。 そのまま、救急車を呼んで、警察も来て、色々聞かれたが、私は「分かりません分かりません」と連呼するだけだった。
 だって、本当に、私はけいとーがうさぎと紅茶が好きということくらいしか、知らないのだ。けいとーがどこで生まれたか、けいとーにはどんな友達がいたのかすら、知らない。ただ、けいとーは、相当、つらい過去を抱えてきたらしい。不自由な人生を歩んできたらしい。私は、けいとーがいなくなってから、心に穴が空いた気がして、なにをするにも、ぼんやりとしてしまうようになった。
 私のベッドには、灰色のうさぎがいた。そういえば、うさぎって、寂しいと死んじゃうんじゃなかったっけ。けいとーは、寂しかったから、死んじゃったのかな。そう思うと、身動きが取れなくなって、私は家に閉じこもるようになった。
 ある日、ゴミ箱からゴミが溢れだして、仕方なくゴミだしに行くと、けいとーの元同居人とばったり出会ってしまった。
「鶏頭が、ご迷惑をおかけしました」
 元同居人は、深く、頭を下げた。
「迷惑なんかじゃないですよ」
 私が答えると、けいとーの元同居人が言った。
「鶏頭、可愛くしてなきゃ生きる意味ないって、思ってたでしょう。男に愛されなきゃ、生きていけないって、思ってたでしょう」
 けいとーがあのときの話を元同居人にしていたかどうかは私にはわからないが、一緒に過ごしていれば、それくらいのことはきっと察するのかもしれないと思った。
「…………そうかもしれません」
「俺たちは、鶏頭を救いたかったのかもしれません。救いたくて、手を伸ばして、拒絶されていました。たぶん、今まで、鶏頭を愛した男もみんなそうだったと思います」
 けいとーの元同居人は、寂しそうな顔をして俯いていた。
「あの、けいとーは、これで良かったんだと思います」
 私の言葉に、元同居は、驚いた顔をした。そりゃあ、そうか、とも思った。
「これはけいとーが選んだことだから。私は、否定しちゃいけないなって、最近、おもいました。でも、けいとーが死ぬのは、悲しいから、けいとーのこと、私が幸せにします」
 元同居人は、意味が分からない、という顔をしながらも、「よろしくお願いします」と頭を下げた。
 だから、私は男性を否定したくないと思う。女同士の物語に、男が出てきても、構わないと思う。そこまで書いて、記事を公開した。
 その記事は、瞬く間に話題になった。とある作家の、女の子同士の物語。
 ツイッターに「まさに百合ですね!」という投稿をした人がいた。私は「その花の名前で片づけないでください」と返信した。
 たぶん、もうすぐ、私は出版社から見放されるだろう。でもね、鶏頭。鶏頭は、案外、幸せ者だったのかもね。たくさんの男の人達に愛されて、本当は寂しくなかったのかもね。
 でも、鶏頭は苦しかったんだね。私は、男でも女でもない。だから、女の子を崇拝するのも嫌だし、男の子を邪険に扱うのも嫌だ。
 鶏頭。一つだけ、分かったことがあるの。
 男の子も、女の子も、みんな、「愛」のかたまりだった。
 だからさ、私は戦うよ。鶏頭と一緒に。あの花の檻を壊してみせる。
 そんな私たちを、その花の名でよばないで。


あとがき
『百合』ってなんだろうって。わざわざ恋愛をジャンル分けする必要あるのか…?と度々感じます。『BL』とか『NL』とかね。記号化されていく愛(?)に気味の悪さを感じちゃいます。最近はその辺の枠組みがいい意味で曖昧になってきましたね。

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