あるところに、カリン農園を営んでいる老夫婦がいました。老夫婦がいつものように農園で作業をしておりますと、一本のカリンの木の下に、一人の赤ん坊を見つけました。赤ん坊は、女の子でした。老夫婦は驚きましたが、優しい心の持ち主だったので、その捨て子と思われる赤ん坊を育てることにしました。
女の子は、すくすくと育っていきました。女の子は、歌をうたうことが好きでした。その歌声は、鈴を転がすような美しいもので、老夫婦は女の子の歌声を聞くと、とても幸福な気持ちになるのでした。
女の子の歌声は、やがて近所でも評判になりました。カリンの甘く爽やかな香りとともに、透き通ったかわいらしい歌声が運ばれてくるので、女の子は花梨の歌姫と呼ばれていました。
ある日、どこからか女の子の噂を聞きつけたある音楽家が、女の子を素晴らしい歌い手に育てようと、老夫婦の家を訪れました。老夫婦は、その音楽家の話を聞いて驚きましたが、女の子のためになるのならと、その話を受け入れました。女の子も、自分の歌声で人々を喜ばせることができるようになりたいと思っていたので、音楽家のもとで歌を学ぶことを選びました。
音楽家は、毎日老夫婦の家に訪れ、歌の稽古を女の子に施しました。女の子は、みるみるうちに成長を遂げて、たくさんの人々にその歌声を求められるようになりました。ですが、女の子は、歌をうたうたびに、自分の足が痛むことに気がつきました。それでも、たくさんの人が自分を求めてくれているのだからと、歌をうたい続けました。そして、ついには、自分の足で歩けなくなってしまいました。
有名な医者が女の子の足を調べても、原因はわかりませんでした。けれど、まわりの大人たちは女の子に言いました。「たとえ歩けなくなったとしても、あなたには美しい歌声があるのだから」と。
女の子は、うたい続けました。大人たちは、女の子の歌声を褒め称えますが、女の子はもう賞賛の声を必要としていませんでした。午後になって、近所の学生の色とりどりで賑やかな声が聞こえてくると、うらやましくて、悲しくて、ひとり静かにはらはらと涙をこぼしました。
ある日、老夫婦の家にひとりの青年が訪れました。青年は、目を見張るほど美しく、冬の青空のように澄んだ声の持ち主でした。青年は、女の子に会わせてほしいと老夫婦に頼みました。
女の子が、座敷でひとり涙を流しているときでした。青年が座敷にやってきました。
青年は、女の子に向かって言いました。
「大人たちからの期待が貴女の足枷になっているんじゃないかな」
青年が帰宅し、老夫婦が座敷の戸を開くと、そこには、綺麗なカリンがひとつ、転がっていました。
あとがき
これを書いた時は童話にハマっていて…。小川未明、新美南吉あたりですかね。花梨を題材にしたのがお気に入りポイントです。童話にすると普段さらけ出すことができない悲しみが作中に表れるので不思議だなぁと。その後も何本か童話を書きました。
お月見文庫|月見珈詩
やっぱり過去にとらわれてる
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